「不登校目的論」
より感覚的な話ですが
不登校の子供には何か「目的」があるのではないかと感じるときがあります。
それはほとんどの場合、無意識です。
例えば、子供が不登校になって、精神科にかかると、子供は治療の対象ではなく、
実はお母さんが危ない状況で、お医者さんから治療を進められるというケースがあります。
実はお母さんが幼少期から抱えている親との葛藤を持っている、日常生活は送れるが摂食障害を持っている、眠れていないなどの苦しみを持っている、というケースは結構多いです。
このケースでは、結果的には子供がお母さんを救う目的があったことになります。
こう書くと、やや霊的な感じがしますね。
やはり、お母さんの苦しみが子育てに何らかの影響を及ぼしていたと考えるほうが自然でしょうね。
他にもあります。
例えば、自分に注目してほしい、と思っている。
お兄ちゃんばかり、妹ばかりかわいがられていると感じている。
例えば、家族の中の不和を、改善してほしいと思っている。
もしくはその逆。
不登校を通じてお父さんとお母さんのきずなが深まった、ということはあります。
逆もあります。
例えば、本当に愛されているのかを確認したい、と思っている。
「不登校の私でも愛してくれますか?」
より抽象的になりますが、一時撤退して、自我を育てていると感じる子もいます。
自我が育っていない子や、自我を見失っている子は、本音を押し殺して他人が何を期待しているか、といった他人主体で周りに合わせてばかりになりがちです。
人とかかわることに疲れてしまいます。
本当の自分を取り戻したい、と無意識でも思うのは、ある意味当然です。
以前、不登校は、
素因を持つ子が、ストレスの限界を迎え、誘因(きっかけ)が加わると発生する。
と書きました。
基本的にはこのメカニズムを支持しています。
ただ、不登校には目的があるという前提で、
こう考えてみることは、有意義かもしれません。
一度きりの自分の人生を賭けてまで
この子は何の目的で、不登校を続けているのだろうか?